たのしみごと

日々のちょっとした出来事を書いてみました

Part 1 清水園に行ってきました

 新発田市にある清水園に行ってきました。

 

 

 清水園は、旧新発田藩溝口家の下屋敷だった場所で、「清水御殿」とも呼ばれて

 いました。1693年に完成し、その際に、遠州流の茶人で、幕府茶道方であった

 縣宗知(あがたそうち)が、江戸から招かれ、庭園もつくられました。明治24年

 には、越後屈指の大地主、沢海村の伊藤家の所有となり、昭和21年には(財)北方

 文化博物館が管理するところとなりました。それに伴い、沢海(現在の新潟市江南

 区)の北方文化博物館・本館の作庭を手掛けた庭師の田中泰阿弥(たなかたいあみ)

 氏が、清水谷御殿の全体を修復し、「清水園」として現在の姿となったそうです。

 

 清水園の周りには、川が流れ、城下町新発田の雰囲気を感じることが出来ます。

 

 

 受付をして中に入ります。

  ご案内              園内図

 

 大門(茅葺屋根なのですが、修復中でしょうか?)を通り庭園に入っていきます。

 大門前には、「下馬」の石碑があり、お殿様は、ここで馬を降りたのでしょう

 ね・・・。

 

 

 門を入ると、まっすぐな道が続いています。

 

 

 道の脇は、竹が植えてあり、素敵な雰囲気です。

 

 

 道を進むと、右手に「書院」の案内があります。

 

 

 この書院は、「清水谷御殿」と呼ばれた、寄棟造りの平屋で、80坪位の建物だそう

 です。早速中に入りましょう。

 

 

 畳敷きの廊下が、気持ちよいです。

 

 

 庭に面する明かり障子は、「腰高障子」になっていて、風雨に晒されると、障子が

 破れてしまうため、雨の当たりやすい下半分に板を張ってあります。

 

 

 お部屋は、華美なものは一切なく、簡素な造りになっています。当時は幕府への

 政治的配慮があったためと言われています。

 

 

 池に面した二間続きの京間座敷があり、そこから鍵の手に続く、二間床のある15畳

 の部屋は、かつて能が演じられた場所とのことです。一部、畳が外され、春慶塗の

 床を見ることが出来ました。

 

 

 部屋には、鎧も展示されていました。

 

 

 池に面した部屋からは、庭を見渡すことが出来、お殿様も、この美しい庭園を観て

 いたことでしょうね・・・。

 

 

 庭園を散策してみましょう。

 

 外から見た書院(清水谷御殿)です。

 

 

 庭に出て、写真を撮っていると、ボランティアの方でしょうか?声をかけてきま

 した。「一生懸命写真を撮っていらっしゃるので、この庭の少し詳しいことを知る

 と、もっと良い写真が撮れると思いますので、ご案内しても良いですか?」との

 こと。お言葉に甘えて、案内していただきました。

 

 

 次回に続きます。