たのしみごと

日々のちょっとした出来事を書いてみました

佐渡を巡る旅⑤:佐渡金山(前編)

 2024年7月27日に、「佐渡金山」が、世界文化遺産に登録された佐渡

 夫と二人で、2泊3日(2024.10/16~10/18)の佐渡旅行に行ってきました。

 

 佐渡のあちこちを巡ったので、暫く佐渡を巡る旅」を載せていきますので、

 お付き合い頂けると幸いです。

 

 先に訪れたのは、①清水寺佐渡を巡る旅①)

         ②長谷寺佐渡を巡る旅②)

         ③大善寺・④妙宣寺(佐渡を巡る旅③)

         ⑤白雲台・⑥乙和池(佐渡を巡る旅④)

 1日目は、アクティブにあちこち巡ったので、まだ続きます。

 

 今回訪れたのは、世界文化遺産に登録された、佐渡金山です。

 ここは、外せませんよねー・・・。

 

(1日目):10/16

 佐渡金山(前編)

  「佐渡島の金山」は、佐渡で最も古い砂金を採る鉱山「西三川(にしみかわ)

  砂金山」と、相川金銀山と鶴子(つるし)銀山からなる「相川鶴子金銀山」

  の二つが構成資産となりました。

  

 今回訪れたのは、相川にある「史跡 佐渡金山」です。

 

 江戸から明治、そして平成の操業停止に至るまでの長い歴史を物語る数々の

 遺構が、豊かな自然の中に溶け込んで至るところに残されています。

 広大な敷地に点在する坑道跡、採掘施設、製錬施設など、そのほとんどが国の

 重要文化財、史跡、近代化産業遺産に指定されています。

  

 佐渡金山は、400年の歴史があります。(時系列にまとめると)

  1601年(慶長6年)・・・山師3人により開山

  1603年(慶長8年)・・・徳川幕府天領として佐渡奉行所を設置。小判も製造

             され幕府の財政を支えた

  1869年(明治2年・・・明治政府が官営佐渡鉱山とする。西洋人技術者により

             近代化・機械化が進む

  1889年(明治22年・・・宮内省御料局管轄の皇室財源となる

  1896年(明治29年・・・三菱合資会社に払い下げられ設備増強を進め日本経済

             の発展に貢献

  1989年(平成元年)・・・資源枯渇により操業を停止

  2024年(令和6年)・・・佐渡金山がユネスコ世界文化遺産に登録

 

 歴史を見てもわかるように、明治に入って近代化や機械化が進むまで、250年

 以上の長い間、佐渡金山は、手掘りだったのですねー・・・。すごいことです。

 

 早速、中に入ります。

 

 「太夫 江戸金山絵巻コース」をめぐります。

 薄暗い通路を下って行きます。

(水上輪:すいしょうりん)

 

 開山から90年足らずで、坑道は海水面以下までに達した為、「宗太夫坑」では

 常に排水作業が必要となり、水との闘いの連続であったとのこと。水上輪と

 呼ばれる木製の機械を使い、排水作業を行ったとのことです。

 

(立合:たてあい)

 立合とは鉱脈のことで、佐渡金山では、石英脈の中に、金銀が含まれていま

 した。

(山留大工:やまどめだいく)

 山留大工は、奉行所直雇いの技術者のこと。佐渡金山の岩盤は硬いので、落盤

 の可能性は非常に少なかったのですが、断層などにより亀裂が生じたり、軟弱

 な所には、クリ材やナラ材を使って補強したとのこと。

 

 通路を上っていきます。

 

(掛桶:かけどい・風廻し)

 水上輪や桶で汲み上げられた水は、掛桶を通して排水坑道に集められ、坑外に

 排出されたました。また灯火からの煙や石粉の立ち込めた構内に、新鮮な空気

 を送り込むために風廻しや唐蓑が使われたとのこと。

 

(金穿大工:かなぼりだいく)

 金穿大工とは、鑽(たがね)や槌で、鉱石を掘る坑夫のこと。金穿大工は坑内の

 労働者の中では、技術者として賃金も良く、優遇されていたとのこと。採掘は

 4時間ごとの交代制で、坑内で食事や休憩をすることが出来ましたが、労働

 環境は悪く、短命の者が多かったとのこと。

 

(水替人足:みずかえにんそく・無宿人)

 江戸時代中頃から、地中の鉱石を求めて、坑道がますます深くなると、水揚機

 の使用がままならず、手繰り水替による人海戦術が見直されました。隔日交替

 の一昼夜勤務ときつかったとのこと。常に人手不足のため、1778年からは、

 江戸・大阪・長崎などの無宿人も受け入れるようになったとのこと。

 

 更に上っていきます。

 

(採掘現場)

 金穿大工が、鑽(たがね)を上田箸でつかみ、槌で打ちます。上田箸を使うこと

 で短くなった鑽をつかむことが出来、手元の安全にも役立ったとのこと。

 

(間切改:けんぎりあらため)

 坑道が発注した仕様通りに掘られているか、どれだけ掘り進んだか等の検査を

 受けているところです。頭に付けているのが「てへん」と呼ばれる紙の「こよ

 り」を固く編んで作った安全帽で、役職の者だけに許されていたとのこと。

 

(やわらぎ)

 江戸時代から伝わる、金山独自の神事芸の「やわらぎ」。

 硬い岩盤が、少しでも和らぐようにと祈る神事で、山の神の心を和らげるという

 意味もあるとのこと。

 背後の壁面の縞模様がに見えているのが、鉱脈(立合)。金銀を多量に含む

 富鉱帯を発見したため、前途を祝し、間歩(採掘坑)開きの祝いが行われて

 いる様子です。

 

 ひとしきり、昔の金銀山の採掘の様子を見て、太夫 江戸金山絵巻コース

 終了し、外に出ました。

 

 そのまま、道路に架かる歩道橋を渡ると、「鉱山資料館」に入るようになって

 います。

 

 

 「鉱山資料館」には、精錬の様子を示した模型が展示されていたり、奉行船、

 採掘道具などを見ることが出来ます。

 

 「金塊のつかみ体験」のコーナーがありましたので、チャレンジしてみました。

 2024.4月までは、取り出し体験だったのですが、金の価格が高騰し、盗難など 

 の危険があるため、触って、重さを体験するだけになっていました。

 私は、重すぎて、びくともしませんでした。

 でも、楽しかったです。

 ちなみに金塊の重さは12.5㎏で、時価1億5千万円だそうです。すごい値段です

 ねー・・・。

 

 鉱山資料館では、お土産も買えますので、立寄ってみると良いと思います。

 

 資料館から、一旦、門の正門から外に出て、再度「金山入口」に向かいます。 

 

 次回、佐渡を巡る旅⑥「道遊坑 明治官営鉱山コース」になります。