たのしみごと

日々のちょっとした出来事を書いてみました

山形の旅:旧風間家住宅(丙申堂)①

 山形の旅、最終目的地は「旧風間家住宅(丙申堂:へいしんどう)」です。

 

 明治29年(1896年)、丙申堂は貸金業のお店兼住居として建てられました。

 この年の干支が丙申(ひのえさる)にあたることから「丙申堂」と名付けられま

 した。

 

 駐車場に車を停めると「案内板」がありましたので、それに従って進みます。

 

 建物に沿って歩きます。

 

 先ず現れたのは聖徳太子光寿無量堂」

 

 何故こんな所に聖徳太子?と思ったのですが、

 『江戸時代から大工職人の間で、聖徳太子を大工の神と崇め奉賛する講が開かれ、

 太子堂が全国的に建てられたそうです。この御堂は明和8年(1771年)、鶴ヶ岡城

 外北方堀端に建てられ、その後、何度か移転を繰り返し、平成11年にここに移築

 再建されたそうです。

 

 風間家は、聖徳太子崇敬の念が厚く、太子堂建立の思いも深かったため、この地に

 聖徳太子光寿無量堂として移築再建したとのことでした。

 

 回り込むと、玄関が見えてきます。

 

 正面に廻って、まずは「表門」を見てみます。

 

 その隣には「前蔵」があります。

 

 中から見た前蔵です。

 

 早速、玄関で受付を済ませて中に入ります。

 

 中に入ると、左手に奥まで続く「とおり」と呼ばれる長い通路が見えます。

 ここから前庭が良く見えます。

 

 受付の方が、説明しながら案内してくださいました。

 

 「お座敷」「下座敷」などが連なる部屋の前を通って、奥の「金庫蔵」に向かい

 ました。

 

 
 風間家の祖先は越後の沢海藩(そうみはん)の武士だったとのことでした。

 新潟県の村上で商人となり、そこから酒田、鶴岡と移ってきました。

 鶴岡に移った風間家はその後、鶴岡藩の御用商人として呉服や太物屋を営み、

 幕末は鶴岡第一の豪商になったそうです。

 豪商だけあって、金庫がずらりと並んでいました。

 

 

 ダイアルは数字ではなくイロハでした。

 

 金庫蔵から、各部屋へは、廊下が続いています。

 

 各部屋は、庭園に面して造られており、庭園がどの部屋からも良く見えます。

 

 各お部屋を見て廻ります。

 

 (下座敷)

 

 (中の間)

 

 (座敷)

 

 座敷には聖徳太子17条憲法が飾ってあります。

 聖徳太子の教えを大切にしていたのでしょうね・・・。

 

 床の間脇の細工も素晴らしいです。

 

 (当主の寝室)

 

 奥には、約60畳の広い板の間の場所がありました。今で言えば社員食堂のような

 所で、生活の中心となっていた場所なのでしょうね・・・。

 

 中央の柱は大黒柱です。

 

 

 トラス構造(三角形を単位とした構造骨組みの一種)の梁が目を惹きます。

 大黒柱とトラス構造の梁は、地震に強い造りになっています。丙申堂が建築され

 る2年前(明治27年)に酒田大地震があり、当時の大工さんが耐震構造を考えて

 造った大変珍しい建築とのことです。

 

 板の間には素敵な箱階段(たんす階段)があります。

 

 昔の家には、この様な引出しを兼ね備えた箱階段が良くありますよね・・・。

 実家の家も昔は商家だったので、この様な階段がありました。

 

 階段を登って2階に進むと「大工部屋」があります。

 「丙申堂」を建てたのは、新潟県村上市(旧山北町)の大工さんでしたが、明治

 時代は交通が不便でしたので、営繕のために2~3人の大工さんがこの部屋に寝泊ま

 りしていたとのことです。大工さんが常駐するなんて、お金持ちだったことが解り

 ますね・・・。

 

 長くなったので、もう1回続けます。