新潟の歴史と文化を楽しく学べる歴史情報の発信拠点である「みなとぴあ」。
重厚で趣のある「旧第四銀行住吉町支店」を楽しんだ後、信濃川沿いの様子を見に
行きました。
このエリアは、萬代橋からみなとぴあまでの信濃川左岸に広がるおしゃれな空間
になっており「みなと・さがん」と呼ばれています。正式名称は「信濃川左岸緑地」
です。
街と港が溶け合い、都会的な雰囲気ながら、空が広く新潟らしい風景を感じること
ができます。




対岸には、「朱鷺メッセ」「ホテル日航新潟」「佐渡汽船ターミナル」が見えます。


新潟西港に繋がる河口付近に、ひときわ目を惹く大型船が停まっています。
『越後9000(えちご・きゅうせん)』と言うそうです。

日本海に注ぐ信濃川の河口付近は、川上から運ばれてくる大量の土砂が溜まる場所
のため、ここで安全な航路を確保するためには、溜まった土砂をすくって港の水深
を一定の深さに保つ「浚渫(しゅんせつ)」という工事を常に行う必要があります。
そのために総工費25億円をかけ誕生したのが浚渫船『越後9000』とのことです。
重要な役割を担っている船なのですね・・・。
「みなとさがん」は、萬代橋からみなとぴあまでの約1.3km。
多くの方々が川沿いの景色を見ながら、お散歩やウォーキング、ジョギングなど
思い思いに楽しんでいました。

最後に「歴史博物館本館」に行きましょう。
博物館本館は、明治44年建築の2代目新潟市庁舎の外観を取り入れており、常設
展示室、企画展示室、ミュージアムシアター、体験の広場などの施設が入ってい
ます。

素敵な建物ですねー・・・。
入り口に向かう途中に、重々しい扉がありました。

現在は、搬送口になっているのでしょうか?
ここにもイオニア式列柱がありました。

宮殿風のモチーフも取り入れて建設したとのことで、屋根の上にある塔が素敵で、
目を惹きます。

玄関を入って中を見学します。

入ってすぐの所に「兵馬俑(へいばよう)」がありました。

兵馬俑は、古代中国で死者を埋葬する時に一緒に埋められた兵士や馬を象った
人形です。
みなとぴあは、2007年に西安博物院と友好館提携を結んでおり、この兵馬俑は
2015年に寄贈された物とのことです。兵馬俑には兵士や馬をかたどったものが
多いのですが、こちらに展示してあるような将軍の姿を表したものは数が少ない
そうです。
入場料を支払って中に入ると、吹き抜けの天井や2階に向かう回廊が美しく、目を
惹きました。


2階の「常設展示室」から見てまわります。

縄文時代から順を追って展示されていました。

遺跡から出土された物が展示されています。



歴史を飛ばしますが、江戸時代に入ると、新潟には料亭文化が栄えました。

京都の祇園、東京の新橋と並び称されてきた花街、新潟古町。
新潟古町芸妓の発祥は、約200年前の江戸時代にまで遡ります。
その頃の新潟は、北前船の拠点としてにぎわい、多くの人々が交流する街でした。
その街にいつしか花街が生まれ、訪れる人々を粋な芸でもてなしたのが新潟古町
芸妓でした。

新潟古町芸妓の活躍の場は料亭で、新潟市には江戸時代に創業し、現在も老舗料亭
として格式を誇る二つの料亭「行形亭(いきなりや)」と「鍋茶屋(なべぢゃや)」
があります。いずれも建物は国の有形文化財に登録されています。
私も鍋茶屋には何度か訪れたことがあります。芸妓さんは呼びませんでしたが・・・。
200年の伝統を誇る新潟古町芸妓は、港町新潟を代表する文化のひとつです。
現在も新潟古町芸妓さんたちは、活躍されています。
他にも、戦争の頃の道具、新潟地震についてなど、色々展示されていました。


1階に降り「企画展示室」を見ます。

企画展示は「R7年の新収蔵品展」と「新潟市街の古写真・絵葉書」でした。






他に「体験の広場」なども見学しましたが、今回は割愛します。
久しぶりに訪れた「みなとぴあ」でしたが、見所が沢山あり、楽しい時間を過ごす
ことが出来ました。
また訪れてみたいなと思える場所でした。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
「みなとぴあ」散策は終了です。