たのしみごと

日々のちょっとした出来事を書いてみました

Part 1 きれいなユリが咲く月岡公園に行ってきました

 魚沼にある月岡公園。市街を眺められる高台に、月岡公園はあります。

 

 昨年初めて、ユリの花がきれいに咲いていると聞いて、訪れた場所です。

 今年もユリが開花していると聞き、梅雨の合間の晴れた日に(6.27)訪れました。

 

 月岡公園は、子供が遊べる広場や、キャンプやバーベキューなども楽しめる多目的

 な公園です。

 

 遊具が、充実していて、子供が喜びそうな場所です。

 

 自然が豊かで、何よりも広く、解放感に溢れています。

 

 公園を横目で見ながら、ユリが咲いている場所に向かいます。

 

 遠くにユリが咲いているのが見えてきました。

 開園時間が、HPには、9時からと書いてあったので、時間に間に合うように到着

 しました。既に、車が何台か停まってはいましたが、そんなに混んではいません

 でした。良かったー・・・。

 

 近づくと、ユリが沢山咲いています。

 

 花の広場では、毎年夏と秋に約10,000本ものユリが咲き誇ります。ユリ畑のユリは、

 夏(6月下旬~7月上旬)と秋(9月下旬~10月上旬)に、上段下段の2つの畑に分け

 て、咲きます。

 今回は、手前側の上段のユリ畑でした。

 

 色とりどりのユリの花が、周りの景色と相まって、美しいです。

 

 それぞれに、花の名前の札が、立ててあります。

 

 (リトーウェン:白)


 (シムラ:ピンク)

 

 (ヒューストン:ピンク)

 

 (イエローダイアモンド:黄色)

 

 (チェザーレ:オレンジ)

 

 (コルレオーネ:赤)


 細かな区別は、解りませんでしたが、大体、この6種類が、植えてあるようです。

 


 どの花も、色鮮やかで、ワクワクしますねー・・・。

 

 きれいなので、もう少し見て廻ります。

 次回に続けます。

Part 2 あじさい咲く水道山公園・観音山公園散策

 約1万株以上の紫陽花が山肌一面を飾り、訪れる人を和ませてくれる公園。

 

 水道山公園・観音山公園の散策の続きです。

 

 斜面の新しい道を通って、進みます。

 

 土の感じを見ると、まだ、整備して間もない感じがします。

 

 そのためなのか、時期が早かったのかは、定かではありませんが、いつもより、

 花が少ないです。

 

 咲いている場所を見つけて、撮影します。


 観音山公園にも行ってみましょう。

 

 観音山と言われるだけあって、観音様が、何体か建立されています。

 

 奥には、形の良い桜の樹があります。

 観音山に続く、観光道路の脇や公園内には、沢山の桜の樹が植えてあって、時期に

 なれば美しい桜を観ることが出来る場所です。今は、葉桜でしたが、形の良い樹な

 ので、花をつけたらきれいでしょうね・・・。

 

 公園内にも、少しあじさいが咲いていました。

 

 ベンチが置いてあって、そこからは、見附市内がよく見えます。

 

 さあ、観光道路を歩いて、あじさいを見ながら、戻りましょう。

 

 駐車場に、戻る小道を通って帰ります。

 

 青色や白っぽいあじさいが、多く咲いていました。

 

 今年は、この道沿いに沢山あじさいが咲いていて、きれいでした。

 

 いつも、「どこを見ても満開」という時には、訪れることが出来ませんが、人も

 ほとんどいないので、ゆっくりとお散歩しながら、あじさいを見ることが出来る

 ので、お気に入りの場所です。

 

 また、訪れてみようと思います。

 桜の時期にも、来たいと思います。

 

 長い間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 水道山公園・観音山公園の散策は、終了です。

Part 1 あじさい咲く水道山公園・観音山公園散策

 見附市の東南に位置し、海抜60メートル程の小高い山にあるこの公園。

 あじさいの咲く季節になると、時々訪れています。

 

 駐車場は、車10台ほどしか停められないため、いつも休日を避けて、訪れるように

 しています。

 今回は、梅雨入り前日の6/21に、訪れました。

 天気は、どんよりとした曇り空でしたが、これから雨が続くので、今のうちにと

 思い、出かけてみました。

 

 駐車場に車を停めると、いつもの、すずめさんたちがお出迎え・・・。

 

 入ってすぐの「水道山公園」。

 少し、整備された感じがしました。ベンチが置かれていましたし、あじさいも植え

 られていました(前からここにあじさいあったかな?・・・)。

 

 公園内を進むと、いつもあじさいが咲いている場所に到着。

 あれ、やっぱり早かったかな・・・。休憩所下の斜面のあじさいは、ほとんど咲いて

 いませんでした。

 

 

 2021.6.27に、訪れた時は、咲いていなかった、左側の道沿いに、今年はあじさいが、

 咲いていました。良かった・・・。

 

 いつも見かける「ヨツスジハナカミキリ」が、今年もいました。

 

 駐車場に、戻る下の道脇には、沢山あじさいが咲いていましたが、ここは、帰る時

 によく見ることにしましょう。

 

 まずは、高台の休憩所に向かいます。

 「篭神社」の前を通って、休憩所「水道山の家」へ。

 

 テラスからは、眼下の街並みや山々が見えます。

 今日は、曇っているので、クリアーには見えませんでしたが・・・。

 

  それでは、「観音山公園」の方に向かいましょう。

 

 観音山公園に向かう道は、観光道路になっていて、駐車できないので、歩いて回り

 ます。(昔は車で行けたのですがね・・・)

 

 道の脇には、所々、あじさいが咲いてはいますが、そんなに多くはありません。

 

 景色を眺めながら休憩するベンチもあります。


 下を覗きこんでみると、今までなかったベンチが置いてあったり、道も新しく整備

 されたようです。

 

 早速、下りてみました。

 

 道沿いには、あまり多くはありませんが、きれいなあじさいが咲いていました。

 

 まだまだ、まわり切れていないので、次回に続けます。

上杉家ゆかりの「林泉寺」参拝

 春日山城跡を訪れた後、折角ですので「林泉寺」を参拝しに行きました。

 

 林泉寺は、長尾家の菩提寺で、長尾景虎(後の上杉謙信)が幼少のころ、武将と

 しての教養を身に着けるために、修業をした寺院として知られています。

 越後守護代長尾能景(謙信の祖父)が、父重景の十七回忌法要を営むために明応6年

 (1497年)に創建した寺院です。

 

 まず見えてきたのは、「惣門」です。

 この惣門は、春日山城の搦手門が、移築されたものと伝えられています。建築様式

 より、室町時代から江戸時代初期に造られた門と推定されており、市内最古の建造

 物といわれています。柱材は欅が用いられ、切妻造の屋根は、平成28年に茅葺から

 銅板に葺き替えられています。

 

 現在は、惣門を通れませんので、惣門の脇から境内に入ります。

 (入館受付は門の右手にあります)

 

 惣門の後ろには、「山門」が見えてきます。

 立派な門です。

 山門は、鎌倉時代の様式の建物で、上杉謙信が建立したものですが、江戸時代に、

 地震によって焼失し、大正14年(1925年)に再建されました。

 左右には、仁王像が立っています。 ※見にくくてすみません・・・。

 

 山門の天井には、「龍の絵」が描かれています。

 『越後の龍』といわれた謙信公を、彷彿させるような迫力ある龍の画です。

 

 山門の扁額は、正面に「春日山」、後面に「第一義」が掲げられています。

 これらの扁額は、謙信公直筆のものから複製された書刻です。

 

 謙信公(当時は輝虎という名前)は、第七代の林泉寺住職のもとに、参禅していま

 した。

 その時に、達磨大師武帝との問答話から、禅の第一義を悟るとともに、「輝虎

 筋目を守り非分をいたさざる事」との信念を立てたといわれます。

 信仰心が深く、『義の人』として知られた謙信公の思いが、この「第一義」という

 書に込められています。なお「春日山」というのは寺の山号です。


 境内の庭は、さほど広くはありませんが、「鐘楼」や池などがあり、木々が生い

 茂っていて、落ち着きのある厳かな雰囲気があります。

 

 正面に、「本堂」が見えます。

 

 本堂の屋根の所に、金色の5つの丸い形があります。この丸の形の中には、この地

 を治めた代々の領主(長尾氏、上杉家、堀家、松平家、榊原家)の家紋が飾られて

 います。(小さくて家紋まで見えませんでしたが・・・)

 林泉寺は、歴代の領主にも尊崇され、その菩提寺でもあった寺のためです。

 美しい寺ですね・・・。

 

 寺の山の中には、上杉謙信公の墓をはじめ、歴代城主の墓もあります。

 

 境内から、山の中に入っていきます。

 

 木々の中に、墓が沢山あります。

 墓標があったものは、解ったのですが、すべては解りませんでした。


 (上杉謙信公の墓)

 謙信公は、49歳で亡くなったとされています。死因については過度の飲酒や塩分の

 摂取による高血圧というのが定説らしいです。遺骸には鎧が着せられ太刀を帯びた

 姿で甕の中に納められて葬られたといわれます。

 

 上杉謙信公の墓の近くには、「川中島戦死者供養塔」もありました。

 川中島では5回も戦いが行われ、特に第4回目の戦いが激しく、多くの戦死者を出し

 たとのことでした。

 

 (長尾為景:謙信の実父、長尾能景:謙信の祖父の墓)

 

 (堀秀重、秀治、秀政公の墓)


 (榊原家の墓でしょうか?)

 

 歴代の名高い方々のお墓が、こんなにもあるなんて、林泉寺はすごい所ですね・・・。

 

 「宝物館」にも立ち寄ってみましたが、撮影禁止だったので、写真はありません。

 中には、謙信公ゆかりの品々が、沢山展示されていました。

 謙信公が、生前描かせた貴重な肖像画や前立兜、直筆の書。謙信公が深く信仰した

 毘沙門天の像や上杉軍団の軍旗などが、所狭しと展示されていました。

 

 見所の多いお寺でした。

 訪れる価値のある場所なので、皆様もぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか・・・。

 

 上杉家の転封に伴い、山形県の米沢にも、林泉寺が建てられたとのことです。

 機会があれば、そちらも訪れてみたいなと思っています。

 

 おまけ:

 帰る時、入り口付近で、動物を発見。

 最初は、犬かと思いましたが、たぬき(?)でしょうか。すぐに、山に消えていき

 ましたがびっくりしました。

 

Part 2 春日山城跡を巡る

 暑い中訪れた、上越市にある春日山城跡。

 

 城跡巡りの続きです。

 

 あと100mで本丸跡に到着します。

 

  道の左手は「天守閣跡」、右手は「本丸跡」があります。

 まずは、天守閣跡に向かいます。

 天守閣跡は、結構広かったです。

 

 2024.1.1の「能登半島地震」の影響で、天守閣跡にクラック(ひび割れ)が発生

 したようです。立ち入り禁止になっている場所が、ありました。

 それ以外の被害はなかったようで、良かったです。

 

 いよいよ、本丸跡へ・・・。

 

 

 標高約180メートルの春日山に築かれた春日山城は、別名「鉢ヶ峰城」(はちが

 みねじょう)ともいいます。本丸からは、かつての越後府中(直江津)、周辺の

 山々の支城や日本海が、一望できます。


 素晴らしい眺めです。

 城地としての広さは、東西・南北ともに2キロメートルほどで、山全体に沢山の

 曲輪が配置されていて、規模の雄大さでも、全国屈指の名城といわれています。

 

 1段下がった「井戸曲輪」には、「井戸丸跡」がありました。

 

 標高150mの場所にあり、廃城から、400年余りを経ても、今なお、水が湧出ている

 大井戸。直径は10mほどあります。春日山城が、山城として、最適な地に造られた

 ことを教えてくれていますね・・・。でも、どのようにして水が湧出ている場所を、

 探し当てたのでしょうね・・・。

 行った時は、草が生い茂っており、水が少ししか見えませんでしたが、草が少ない

 時は、しっかり水が見えるようです。

 

 井戸から、一旦下り、また少し登った所に、「鐘楼跡」がありました。

 何も残ってはいませんでした。

 

 御成街道まで下って、次は「上杉景勝屋敷跡」に向かいます。

 御成街道は、謙信と交流のあった関白・近衛前嗣(さきつぐ)が通ったことが、

 由来となっています。

 

 「上杉景勝屋敷跡」に着きました。

 他の場所に比べて、結構な広さがありました。

 

 御成街道を通って、「二の丸跡」「三の丸跡」に向かいます。

 

 「二の丸」は、本丸の直下にあって、本丸を帯状に囲うように造られ、本丸の警護

 を担う重要な場所だったようです。

 

 「三の丸跡」に向かう途中に、カラムシが生えていました。

 上杉謙信公の財政を支えたと言われる、「越後上布」の原料として珍重された青苧

 (あおそ)は、このカラムシの茎の繊維のことです。

 
 道を下ると、「三の丸跡」と「米蔵跡」「上杉三郎景虎屋敷跡」が見えてきました。

 上杉三郎景虎は、小田原の北条氏康の7男で、上杉氏と北条氏の同盟締結の際に、

 謙信公の養子となった武将です。謙信公から自分の名前を与えるなどの、破格の

 待遇を受けていましたが、謙信公の死後、跡目を争った「御館の乱」で敗れ、悲運

 の死を遂げた人物です。

 

 

 さあ、帰りましょう。

 

 道路に出る所に、手書きの看板があります。

 「登り口」とは?・・・。

 こちらから、廻れば、楽だったのにー・・・。

 次回の参考にしましょう。

 

 

 振り返ってみると、ほんとに、山城だったのですね・・・。

 

 売店まで下りてきました。

 

 売店前には、昭和44年の大河ドラマ天と地と」放映にあたり制作された、上杉

 謙信公の銅像があります。

 像の高さは、305㎝、重さは800㎏とのことです。

 眼光鋭く、凛々しい感じがします。

 

 さあ、神社前の長い階段を下って帰りましょう。

 

 思いがけず、結構きつい山登りとなりましたが、色々見どころが満載で、勉強に

 なりました。

 次回は、売店前を通って、登ることにしようと、硬く心に誓いました。

 

 長い間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 春日城跡巡りは、終了です。

Part 1 春日山城跡を巡る

 新潟県上越市にある、戦国時代の名将・上杉謙信公の居城として知られる春日山

 城跡。国の指定史跡であり、日本百名城にも数えられている場所です。

 

 新潟県に住みながら、きちんと訪れたことがなかったので(春日山神社と上杉謙信

 公の像は見たことがあるのですが・・・)、梅雨前の暑い日に(何を好き好んで・・・)

 訪れてみました。

 

 駐車場に、車を停めて、「春日山神社」に向かいます。

 

 いきなりの長い階段が・・・。何段あるのかな?・・・。

 とにかく頑張って登らねば・・・。

 

 暑い中、結構きついです。途中写真を撮るふりをして、休みながら、どうにか登り

 ました。

 

 神社到着です。

 「春日山神社」の碑は、元帥大勲位伯爵(海軍)東郷平八郎の実筆によるものです。

 

 石の鳥居をくぐると、神社が見えてきます。

 「春日山神社」は、明治34年高田藩士小川澄晴により創建されました。

 祭神は上杉謙信で、山形県米沢市上杉神社より分霊された神社です。

 

 神社前には、新旧の狛犬と、「上杉謙信公」の銅像がありました。

 この信玄公の銅像は、上越市出身の彫刻家、滝川毘堂が、春日山城跡中腹に

 立つ謙信像を制作する前に、ひな型として制作したもので、高さは約1m

 と春日山城跡の像の3分の1ほど。麓の春日山旅館に、長年飾られていまし

 たが、2023年の旅館閉館に伴い、神社に寄贈されたとのことでした。

 

 神社境内には、「忠魂碑」と共に、砲弾と大砲が飾られています。

 日露戦争での、ロシア軍大砲の鹵獲品(戦利品?)のようです。


  境内を見て廻っていたら、「本丸まで600m」という案内板がありました。

 

 600m位なら、すぐ着くでしょうと思い、行ってみることにしました。

 

 坂道でしたが、これくらいなら大丈夫かな?と思っていたら、徐々に、急になって

 きました。挙句に階段が続きます。

 

 木立の中を歩いているとはいえ、湿度が高く、気温も高いため、汗が流れます。

 よせば良かったかな?と思いましたが、後悔先に立たずですよね・・・。

 

 汗だくになりながら進むと、「千貫門」の案内板がありました。

 

 春日山城内部への門の一つである「千貫門」があったとされる場所のようです。

 今は、門はありませんが、ここには敵への侵入を阻む、空堀や切り通しなどの遺構

 が残っています。一見すると、道にしか見えないのですがね・・・。

 

 

 千貫門から、更に道を登ると、やっと「直江屋敷跡」に到着。

 重臣であった直江兼続の屋敷にしては、狭いですね・・・。

 

 しかし、景色が開けており、気持ちの良い風が渡ってきます。

 風は結構強く吹いています。冬場は、寒くて大変だったのではないでしょうかね?

 

 「本丸」に向かいましょう。

 やはり、登りの道が続きます。

 

 途中、「御花畑跡」がありました。お花畑といっても、薬草畑だったようです。

 今は、何も植えてないので、ただの空き地になっていました。

 

 更に進むと、「毘沙門堂」が見えてきました。

 

 「毘沙門堂」は、謙信公が戦の前に戦勝を祈願したといわれるお堂です。

 堂の小窓からは、堂内に安置された毘沙門天のお姿を拝見することができます。

 

 近くには、「護摩堂跡」がありました。

 「毘沙門堂」や「護摩堂」など、上杉家専用のお堂を、本丸のすぐ下の曲輪に設け

 ていることからも、謙信公の信仰の強さが伺えます。

 

 さあ、もう少しで「本丸」です。

 頑張って登っていきましょう。

 

 長くなったので、次回に続けます。 

Part 3 あじさい咲く光照寺

 色とりどりの、珍しいあじさいが、沢山咲く光照寺

 

 

 お寺の裏山にも、沢山のあじさいが植えられているとのことで、行ってみました。

 

 裏山のあじさいを見て廻るのには、いくつもの道がありますが、繋がっているので、

 どこを通っても大丈夫です。

 

 緑の木々が、すぐ背後にあり、山の斜面のような場所に、あじさいが沢山植えら

 れています。

 

 ここには、概ね、青い色のあじさいが植えてありました。

 青一色に染まるあじさいが見事です。

 

 道もあじさいに、覆われているので、所々、花をかき分けるようにして進みます。

 

 石灯籠も、あじさいに覆われていました。

 

 奥に、赤い鳥居と小さな建物があります。

 

 鳥居の正面に廻ってみました。

 表示がないので、よく解りませんでしたが、本堂の100年前の地図には、「鎮守」

 と書かれていたので、村の鎮守様を祭る神社なのでしょうか?・・・。

 

 青いあじさいの中、赤い鳥居が映えますね・・・。

 

 後ろを振り向くと、お寺がよく見えます。

 

 青いあじさいが、美しく咲いている裏山は、本堂から見てもきれいでした。

 もちろん近くで見ても、きれいですけどね・・・。

 

 そろそろ、戻りましょう。

 

 裏山の青一面のあじさいを見ることが出来て、気持ち良かったです。

 

 最後に、きれいなあじさいを、もう一度見ながら、帰りましょう。

 

 色々な種類のあじさいが見れて、楽しかったです。

 また訪れてみたい、あじさいの咲くお寺を知ることが出来て、よかったです。

 

 あじさい咲く光照寺の散策は終了です。

 皆様も一度、訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 長い間お付き合いいただきましてありがとうございました。