清水園を観おわったので、道をはさんで反対側の「足軽長屋」も観てきました。
城下町は、藩の家臣が集住する「侍町」と町人が住む「町人地」、寺社の集まる
「寺町」等から構成されていました。足軽は侍町の一番外側で長屋などに居住して
いました。この足軽長屋は、旧新発田藩において、幕末までに4棟あった清水谷長屋
のうちの1棟で、城下町絵図には「北長屋三軒割八住居」と記されています。
左右は違いますが、同じような間取りの家が8つ繋がっています。
中を見ることが出来たので、入ってみました。
一戸の主屋は間口と奥行が3間の9坪で、裏には2坪の炊事場と1坪の土間が下屋造り
でついています。主屋の間取りは「半坪の入口土間」「炉付の2坪半の板の間」それ
に「8畳と4畳の2室」(または6畳2室)となっています。
新発田も冬になれば寒いので、住みやすかったかは、疑問ですね・・・。
長屋の屋根は、茅葺屋根でした。
長く連なった家は、住んでいた人にとっては、どうだったか解りませんが、趣が
感じられました。
清水園・足軽長屋のお散歩は終了です。
帰りに、清水園前の「新柳本店」に寄りました。「清水園まんじゅう」が名物の
ようですが、おいしそうだったので、「わらびもち」を買って帰りました。
(写真を撮り忘れたのでHPより)
娘が喜んで、おいしいと言って、全部食べてしまいました。残念・・・。
※おまけ
駐車場脇に、雅子皇后の御成婚を記念して、お印である「ハマナス」が植えられて
いました。
新発田は雅子皇后の父上 小和田恆さまの生誕の地であるため、植樹されたのです
ね。それにしても、ちょっと小さい気がしますが・・・。