たのしみごと

日々のちょっとした出来事を書いてみました

多宝山青龍寺に行ってきました

 種月寺から400m位離れた所に、「多宝山青龍寺(しょうりゅうじ)」があります。

 

 多宝山の山懐に、ひっそりと佇む寺院です。

 

 

 多宝山青龍寺の創立は、天平8年(736年)僧行基北陸道を巡察した際、石瀬に

 開山したと伝えられおり、岩室地区で最古のお寺です。

 本尊は大日如来薬師如来です。真言宗豊山派の多宝山青龍寺。昔は天台宗でした

 が、江戸時代に真言宗になったそうです。どういうことかな?・・・。

 

 参道には、石積の塀(?)があったり、苔むした木の切り株などもありました。

 

 参道自体は整備されて歩きやすいですが、この時期、雪も残っており、まだまだ

 手入れは、行き届いていないような感じがしました。

 

 「薬王橋」を渡って、本堂に向かいます。

 

 多宝山青龍寺には、上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝直江兼続の弟、大国実頼から

 の寺領を定めた書状が2通、花印が押され保管されており、その書状には、天神山

 城主の小国氏の祈願所であったこと、また越後を平定した上杉氏から、特権が与え

 られていたことが記されているとのことでした。

 

 本堂前には、まだ雪が残っていました。

 

 日蓮上人筆の軸が、寺宝として保管されているとのことですが、中は見ることが

 出来ませんでした。時期が悪かったかなー・・・。

 

 本堂柱には、「越後新四国第三十二番 青龍寺」「第十五番 弘法大師越後廿一ケ所

 霊場」の札が掛かっています。

 

 本堂入口の扁額の上に、波に密教法具の「金剛杵(こんごうしょ)」が彫られて

 いるのは珍しく、弘法大師が右手に持っていた「五鈷杵(ごこしょ)」だと言われ

 ています。

 

 派手さはありませんが、所々にある彫り物も美しいです。


 本堂前には、三条市本成寺の開祖である「日印上人」の手植えの梅の木があり、

 その脇にはラカンマキの大木があるそうです。

 

 あまり近づけなかったのですが、ラカンマキの奥にあるのが、「日印上人」の手植え

 の梅の木でしょうか?はっきりしませんでした。

 

 ラカンマキは、大きく葉も青々としていました。

  

 ラカンマキの名前の由来は、実が(逆立ちにはなりますが)お坊さん(羅漢)の

 ように見えることからきたようです。赤い部分は食べられますが、黒っぽい方は

 毒性があって食べられないとのことです。

                           (庭木図鑑より借用)

 夏から秋にかけて、羅漢様の形をした実をつけ、熟した実は少し甘酸っぱく素朴な

 味がするとのことです。

 子供の頃に食べた、イチイの赤い実のような味なのでしょうか?・・・。

 

 本堂の左脇には別の参道が伸びていて、薬師堂、墓地へと続いているようです。

 薬師堂は、朱色の柱と白壁のコンクリート造りだったので、まさか青龍寺の薬師堂

 と気づかず、見に行きませんでした。

 

 参道入口には、六地蔵が三つずつ左右に分かれて祀られています。 

 

 近くには、鐘楼や道祖神もありました。

 

 青龍寺は、事前に調べて行かなかったので、薬師堂やその裏山などに、色々見る

 べき所があったにも拘らず、全部スルーしてしまいました。

 訪れる前のチェックは大切であると痛感しました。

 

 また、違う時期に、訪れてみようと思います。