たのしみごと

日々のちょっとした出来事を書いてみました

Part 1 雲洞庵(うんとうあん)に行ってきました

 新潟県南魚沼市雲洞の金城山の麓にある曹洞宗の寺院の「雲洞庵」。

 

 夏や秋の時期に、訪れたことはありましたが、今回、冬の時期に初めて訪れて

 みました。(2.13撮影)

 

 来るまでの道は、雪もなく、心配していた割にはスムーズに来ることが出来ました。

 駐車場には、まだ雪が沢山残っています。

 

 普段なら、「赤門」を通って、本堂に向かうのですが、あいにく、雪が残っており、

 歩くことが出来ませんでした。

 

 この赤門は、かつては皇室、大名などの身分の高い人の来訪時にしか使われなかった

 開かずの門だったそうです。唯一の例外が年に1度行われる「大般若会」でした。

 今は、誰でも、この赤門をくぐることが出来ます。(今回は雪で残念でしたが・・・)

 

 

 「雲洞庵の土踏んだか」という言葉をご存じでしょうか?

 赤門から本堂に続く参道の石畳の下には(敷石の1mも下らしいですが・・・)、一石

 一字ずつ法華経が刻まれたものを地中に埋めて、その上に石畳を敷いたとされてお

 り、この石畳を踏みしめてお参りすると、罪業消滅・万福多幸の御利益に預かると

 信仰されています。(所説はあるようですが・・・)

 

 残念ながら参道は冬季閉鎖のため、通用参道を歩きます。

 

 参道の周りは、雪景色です。

 

 本堂が見えてきました。

 美しい建物です。

 

 雲洞庵の起源は、今から1300年前の奈良時代に、時の内大臣藤原房前(ふささき)公

 の母親が、出家して先妣尼(せんぴに)公となり、この地に庵を構え、当時、はやり

 病で多くの人々が苦しめられていたのを、雲洞庵背後にある金城山から湧き出る霊泉

 で、救ったと言われ、先妣尼公亡き後に、息子の房前(ふささき)公が菩提を弔うた

 めに、尼寺を建立したのが雲洞庵の始まりと言われています。

 

 その後、室町時代永享年間に、上杉憲実(のりざね)公が、曹洞宗の寺院「雲洞庵」

 としてお寺を再興し、本堂も建立されました。後に27の末寺をもつ大寺院となり「越

 後四箇之道場」の一つに数えられました。

 1707年(宝永四年)に、新潟県出雲崎の小黒甚内を棟梁とする大工群によって再建

 された寺院は、近世寺院建築の最も優れたものとされ、新潟県指定文化財に登録され

 ています。

 

 拝観入口から庵に入っていきます。

 

 あちこちに、おみくじが結んでありました。

 

 入ってすぐの場所に、「長生きの水」と書かれた水場があります。

 今は、安全のため上水道水が流してあるようです。長生きの水なら、飲んでみた

 かったですねー・・・。

 

 

 長生きの水がある脇から、中に入っていきます。

 

 上がるとすぐの場所に、お部屋がありました。「大方丈」と呼ばれています。

 上杉景勝直江兼続は、幼少のころ、雲洞庵十世北高全祝(ほっこうぜんしゅく)

 禅師に引き取られ、教育を受けました。ここはかつて、共に修業と勉学に励んだ

 場所と言われています。

 

 本堂に向かいます。

 本堂のご本尊として、ここには釈迦牟尼仏が安置されています。

 

 天蓋はきらびやかで美しく、欄間などにも美しい彫り物が施されていました。

 

 本堂前を過ぎて、奥に進みます。

 本堂の後ろ側には「開山堂」という、お寺を開いた(開山)方や上杉憲実公、謙信公

 家康公の位牌もあるようですが、今回は、行きませんでした。

 

 

 「紫雲殿」と呼ばれる荘厳な位牌堂が見えてきます。

 雲洞庵ゆかりの武将や大地主・豪商などの位牌が収められています。

 

 道なりに、「座禅堂」の方に向かいましょう。

 

 長くなったので次回に続けます。