たのしみごと

日々のちょっとした出来事を書いてみました

将軍杉と乳銀杏

 今年、最初のアップは、年またぎの記事になります。

 中々、時期についていけないのですが、ご容赦お願いいたします。

 

 阿賀野川ライン船下りをしてから、そのまま、帰るには惜しいとのことで、周辺

 の名所(と言っても、すごくマイナーな場所ですが・・・)を見て廻ることにしま

 した。

 

 先ずは、阿賀町にある「将軍杉」を見に行きましょう。

 

 将軍杉を見るため、村中の道を歩いて行くと、曹洞宗名刹平等寺」が見えて

 きます。

 平等寺薬師堂は、平安時代後期の武将・平維茂(たいらのこれもち)によって創建

 されたと伝えられています。

 維茂が、船で川を下っていると、金色に光る小さな(一寸八分)薬師如来像を見つ

 け、これを薬師堂に安置したのが、始まりと言われています。

 現在の薬師堂は、1519年(永正16年)に僧・永源(えいげん)によって建てられ、

 1923年(大正12年)2月28日に国の重要文化財に指定されています。

 

 堂内の柱や壁板には、戦国から江戸時代にかけての落書が残されています。

 中でも、天正6年(1578)、上杉謙信死後の後継者争いで、景虎と景勝が争った

 「御館の乱」に便乗し、越後(菅名)へ進行し敗退して、この堂に逃げ込んだ

 会津芦名家の将兵たちの残した、連名の墨書は、当時の越後と会津の緊迫した動勢

 を知る上で、貴重な資料とのことでしたが、内部は非公開のため、見ることは出来

 ませんでした。

 

 境内ある鐘楼も立派で、周りの景色と相まって、美しく見えました。


 将軍杉は、少し寺からは、離れてはいますが、平等寺の境内に立つ、樹齢約1400年

 の杉の巨木です。

 

 将軍杉は、1927年に国の天然記念物に指定されました。

 1991年、環境庁による調査では、幹周りは15m95㎝だったそうですが、2001年に

 行われた調査の際には、19m31㎝まで成長していて、屋久島の縄文杉(幹周り16.1

 m)を抜いて「日本一」となりました。樹高は約40mあります。

 

 周りには、木道が整備されていて、将軍杉をぐるっと回ってみることが出来ます。

 

 根元近くから、6本の幹に分かれていて、広く張り出した幹1本1本も太く、悠久

 の年月を感じさせます。中央の1本は、昭和36年秋の第二室戸台風で折れてしまった

 ようですが、葉は今でも、美しく茂り、生命力にあふれていました。

  

 手前にある石碑は、会津藩初代藩主保科正之が、この地に晩年を送ったとされる

 陸奥鎮守府将軍平維茂の業績をしのび、建てた物とのこと。

 「将軍杉」の名も、これに起因するとのことです。

 

 次に、「切畑の乳銀杏」を見に行きました。

 

 国道290号線から、切畑集落に向かって進み、ちょっと、解りにくい場所でしたが

 どうにか、たどり着くことが出来ました。

 

 

 クマさん看板があるし、ずっと歩くのかな?と、思ったら、入り口を入ってすぐに

 乳銀杏の巨木を見つけることが出来ました。
 

 

 12月だというのに、全く黄葉していないで、緑色の葉が、鮮やかに生い茂って

 います。

 

 

 幹の周りから、根の一種である気根が、数十本も垂れ下がり、乳房のように見える

 ことから「乳銀杏」と呼ばれています。県内でも、まれにみる雄イチョウの老大木

 で、樹高40m、幹まわり12mもあります。幹から垂れ下がっている部分を、煎じて

 飲むと、母乳がよく出るようになるという伝承があり、母乳や安産の神木として

 昔から信仰されてきました。

 

 この乳銀杏は、「切畑観音堂」の境内にあります。

 切畑観音堂は、僧行基が北国巡行の際、この銀杏の枝を切り取り、高さ五尺の

 十一面観音像を刻んで安置したと伝えられる古刹で、蒲原観音霊場第三番霊場

 なっています。

 

 

 初めて見た「乳銀杏」でしたが、変わった銀杏の木を見れて、楽しかったです。

 今回廻った、2か所とも、古木ですが、生き生きとしたパワーを頂けた様な気が

 しました。

 

 私も、これらの木の様に、生き生きとした生活を送りたいものです。