たのしみごと

日々のちょっとした出来事を書いてみました

金沢旅行:尾山神社に行ってきました

 金沢旅行の続きです。 

 

 金沢城公園から、玉泉院丸庭園を見学後、鼠多門橋を渡り、裏口の方から、尾山

 神社に向かいました。

 

 鼠多門橋が復元される以前は、玉泉院丸庭園から尾山神社に行くには回り道をしな

 ければならず、時間をロスしていたそうですが、便利になりましたね・・・。

 

 尾山神社に裏口の方から、入るのは初めてでした。

 

 

 すぐに、摂社金谷神社が見えてきました。

 

 

 尾山神社加賀藩祖である前田利家と、正室のおまつの方を祀っていますが、

 摂社、金谷神社では歴代藩主とその正室を祀っているとのことでした。

 

尾山神社

 

 金谷神社には、「さし石」と呼ばれる石が置いてあります。

 このさし石は、旧藩主前田家より拝領した石で、若衆たちがこの石を担いで力と

 技を競ったとのことでした。この石に触ると健康になると言われており、古くから

 多くの人々がこの石に触り、健康を祈ったという謂れのある石でした。

 

 

 尾山神社の脇には、変わった鍛鉄工芸作品があります。

 鍛鉄とは、日本刀と同じように、炉で熱した鉄を叩いて、造形する技法とのこと。

 

 

 このオブジェは2本のハスの「夏の夕刻」と、ゼンマイのベンチの「山笑う」と

 いう作品です。「夏の夕刻」は、身を潜めていたカエルが、夏を迎えて「そろそろ

 出番だ」と姿を現した情景を表現しており、俳句の春の季語からタイトルをつけた

 「山笑う」は、ニョキニョキと伸びるゼンマイが、庭に置いた枕木を持ち上げる

 様子を現したとのことでした。

 

 

 「神苑」と呼ばれる庭園が見えてきました。

 

 尾山神社が創建される以前は、この場所に旧金谷御殿があったそうです。庭園は

 江戸時代末期から明治時代にかけ作庭されたと云われ、池泉回遊式となっています。

 

 

 飛び石が、池に置いてあり、対岸に行くことができました。

 ちょっと怖いですけどね・・・。

 

 

「響遠爆」と呼ばれる場所です。昔は金沢城から、導水管によって水が引き入れられ

 ていて、その激しい水音から、「響遠爆」という名がついたようですが、導水管が

 断絶した後は、井戸を掘り、地下水を流しているため、水の勢いは弱く、この日も、

 チョロチョロと水が流れていました。

 

 

 図月橋は、情緒のある雰囲気を醸し出しています。

 

 

 前田利家公の像が、見えてきました。

 

 前田利家公は織田信長柴田勝家、秀吉に仕えた戦国武将で加賀百万石の礎を築い

 た武将。像は母衣と呼ばれる流れ矢を防ぐものを背負っており、織田家に仕えて

 いた時に、利家公は赤母衣衆として活躍したとのこと・・・。

 

 

 すぐ隣には、利家の妻「まつ」の像があります。

 


 

 お松の方は、戦国時代に前田利家公を支え加賀藩の立藩に尽力し、利家公没後は

 芳春院と号した方です。NHK大河ドラマ利家とまつ」では、仲の良い夫婦で

 描かれていましたよね・・・。

 

 利家公の「金鯰尾(なまずお)兜」もありました。傾奇者だった利家公らしい兜

 ですよね・・・。

 

 

 ようやく尾山神社拝殿に到着です。

 

 

 

 拝殿は1873年に建立され、入母屋造りの瓦葺きの屋根となっていて、正面には尾山

 神社と書かれた扁額や大きな唐破風があり、堂々とした印象を受けますね・・・。

 お参りをして、出口(入り口ですが・・・)の「神門」に向かいます。

 

 

 「神門」は、1875年に建てられたもので、和漢洋折衷の独特な外観になっています。

 

 初層は日本の技法で造られた三連の木組みのアーチで、外側の石積みは戸室石が使用

 されています。三層目にはギヤマンポルトガル語のガラス)が張られていて、当時

 は火がともされ、灯台として機能していたとのこと・・・。一番上には、日本現存最古

 の避雷針が施されています。

 

 建立当初は、この「神門」はなかったそうですが、参拝者が少なかったことから、

 派手好きだった利家公にちなんで、この門を作ったと聞いたことがあります。

 今では、金沢の名所になっていますよね・・・。

 

 

 尾山神社を後にして、次は、「武家屋敷跡」に行ってみましょう。

 次回に続けます。