新潟の桜がほぼ終わり、まだ咲いている桜を探しに、長野へ行ってきました。
初めて訪れてみました。
4月1日~25日まで「桜まつり」が行われていました。訪れたのは4月19日、日帰り
なので、朝早く新潟を出発。途中、朝ご飯を食べたりしながら、10:30頃、到着。
平日でしたが、桜まつり期間中ということもあって、駐車場は既に満車状態でし
たが、どうにか停めることが出来ました。
入り口前には、SL(C56-144)が展示されていました。
小海線を走っていたSLのようです。
桜を観に来て、SLも観れるなんて、素敵・・・。
少し脱線(笑)しましたが、懐古園に向かいましょう。
左手に、「三の門」が見えます。立派な門です。
この門をくぐって小諸駅や「三の丸跡」に行くことが出来るようです。今回は
行きませんでした。
振り返ってみると、裏側だと思ったのが、表側でしたね・・・。
入場料を支払って、入っていきます。
日本百名城のひとつに数えられた小諸城は鎌倉時代からの古城です。
武田信玄の時代に山本勘助や馬場信房らにより現在の縄張り(本丸をどこに置く
か、二の丸・三の丸などの曲輪はどう配置するか、防御のための堀や土塁はどう
めぐらせるかなど、城の全体像の設計)を行い、「攻めるに難しく守るに易い城」
「難攻不落の城」と言われていました。豊臣秀吉が天下統一をした時代に、小諸
城主となった仙石秀久により、今日遺構の残る堅固な城として、完成されたよう
です。
道の脇には、野面積み(のづらずみ)の石垣が続きます。野面積みとは、自然の
石を加工せずに、そのままの形で積み上げていく方法のようですが、堅固な造り
に、圧倒させられます。
「二の丸跡」が見えてきます。
整備された場所になっていました。
次いで、「南の丸跡」が見えてきます。
ここも階段を登ってみましたが、特に何かあるわけではありませんでした。
反対側には「北の丸跡」があり、ここは弓道場になっていました。
少し進むと、「稲荷神社」が見えてきます。
「紅葉谷」に架かる「黒門橋」を渡ると、「黒門跡」が見えてきました。
黒門橋はそろばん橋(算盤のように多数の車を橋の下に取りつけた可動橋)で
あったといわれ、敵が攻め込んできた際には、すばやく城内に橋を引き込み、敵の
侵入を防ぐことができたとのこと。考えてありますねー・・・。
黒門は、「本丸」から数えて最初の門であることから「一ノ御門」とも呼ばれて
いたようです。
「御駕籠台跡」前を通って進むと、「小諸城址・懐古神社」が見えてきました。
見所が多すぎて、なかなか先に進めませんが、やっと小諸城址本丸と懐古神社
までたどり着きました。
長くなったので次回に続けます。