「たがみのひなまつり」が開催されているということで、訪れてみました。

「椿寿荘」は、何回か訪れたことがありましたが、ずっと椿が沢山植えてある
場所だと勘違いしていました。椿寿(ちんじゅ)とは、椿を長寿の霊木とした、
中国の故事にならって名づけられたもので、椿の木が植えられているから付け
られた名前でないことを、今回初めて知りました。(今更なのですがね・・・)
かつて田上町には2軒の田巻姓の豪農があり、本田巻家と原田巻家と呼ばれて
いました。幕末から昭和初期まで「千町歩」の巨大地主は、新潟に5家(市島家・
伊藤家・白勢家、田巻家、斉藤家)あり、原田巻家もその一つでした。
椿寿荘は、原田巻家第7代堅太郎氏が、不況で苦しむ小作人に仕事を与えるため
に建築したもので、1918(大正7)年に完成した、約880坪の敷地に建つ、建坪
約140坪の広大な離れ座敷です。
受付を済ませ中に入っていきます。
「薬医門」が見えてきました。

田上山田の宮大工、小出源兵衛が、安永7年(1778年)に造ったもので、母屋前
に建っていたものを移したとのことです。
門を潜ると、玄関が見えてきました。
椿寿荘は、明治30年(1897)、「日本三大名工」の一人と謳われた、富山県
井波の宮大工松井角平を棟梁に招いて、17年間の構想と、3年半の建設期間を
経て、大正7年(1918)に完成しました。材料は吉野杉、木曽檜、会津欅など、
全国から銘木を集めるという贅を凝らし、釘類を一本も使わず組み立て、寺院
様式を取り入て造られたとのことです。
玄関の造りは「大名玄関」です。

玄関の天井を見ると、「小組み入り格天井」と呼ばれる、格子が互い違いに組み
合わさり、格間にも細かい格子が入っている造りでした。

玄関から既に、美しい造りになっています。きれいですね・・・。
玄関正面の衝立は、画家「三富与一」の作品で、謡曲「猩々の舞」を描いた八方
睨みの衝立です。

実際に、右・左と動いて見てみましたが、確かに、眼やつま先が、自分の方に
向いて見えました。すごいですよね・・・。
館内の見取り図を見ながら進みます。

部屋の周りの廊下は、畳敷きの廊下になっています。

原田巻家の家紋入り法被が掛かっていました。

「三の間」「二の間」「上段の間」に、ひな人形が飾ってあります。

入ってすぐの所には、可愛らしい絵が展示されていました。

加茂市在住の「藤田郁美」さんの「こころに寄りそうおじぞうさん展」でした。
どの絵も可愛らしく、何処かほっこりとする絵で、癒されます。(トリミング
してあります)



ね、可愛いでしょう・・・。
ひな人形も見てみます。





すごく沢山のひな人形が飾ってあるわけではないのですが、各家で大切にされ
ていたひな人形が飾ってあります。一つ一つの人形の顔が違うのも、見ていて
楽しいです。
沢山撮影したのですが、顔が白飛びしてしまって、うまく撮れませんでした。
お部屋を見て廻ります。
欄間には、美しい菊の透かし彫りが施されています。


この透かし彫りは、京都本願寺に用いられた技法を、彫刻師の岩倉知正が忠実
に再現したもので、楠木の一枚板から彫りだしたものとのことでした。
上段の間にある床の間や違い棚は、一見すると何の変哲もないようですが、
岐阜県(飛騨国)位山産で、深山に自生していたイチイの木を使うという徹底
ぶり・・・。どれだけお金をかけたのかな?・・・。

部屋を出て、庭を横目に見ながら、「奥の間」を見に行きます。




「奥の間」は、こじんまりとした造りになっていました。


7代目当主、田巻堅太郎の写真と略歴が展示されていました。

丸めがねが、昭和らしいですね。
奥の間は、外から見ると解るのですが、高床座敷になっていました。

もう少し、家の中や庭を見て廻りましょう。
長くなったので次回に続けます。